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大阪地方裁判所 平成8年(ワ)9637号 判決

原告

佐藤冨美子

被告

高工眞一

ほか一名

主文

一  被告らは、原告に対し、各自五五〇万円及びこれに対する平成六年六月二四日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  訴訟費用は被告らの負担とする。

三  この判決は仮に執行することができる。

事実及び理由

第一請求

主文同旨。

第二事案の概要

本件は、道路を歩行中であつた杦田正季(以下「正季」という。)が、被告高工眞一(以下「被告高工」という。)が運転する普通貨物自動車に衝突され死亡したとして、正李と内縁関係にあつたと主張する原告が、被告高工に対しては民法七〇九条に基き、また、右車両の所有者である被告西尾レントオール株式会社(以下「被告会社」という。)に対しては自動車損害賠償保障法三条に基づき、慰藉料の支払を求めた事案である。

一  争いのない事実等

以下のうち、1、3の事実は当事者間に争いがなく、2は甲第六号証の二、四、六、八により認めることができる。

1  被告高工は、平成六年六月二四日午後三時一八分ころ、普通貨物自動車(大阪一一わ一五九一、以下「被告車両」という。)を運転し、大阪市東住吉区杭全一丁目一三番三号先道路(以下「本件道路」という。)を東から西へ向かい時速約三〇キロメートルで進行中、当時対向車線には駐車車両があり、他の対向車両とすれ違うために減速し道路左側に寄り右対向車両とすれ違つた際、被告車両の進路前方の道路左側付近を反対方向から歩行してくる正李を認めたのであるから、徐行するなどして、正李の動静を注視し、安全な間隔を保つてその左側方を進行すべきであつたのに、安全な間隔を保たず、正李の動静注視不十分のまま漫然時速約二〇キロメートルで正李の左側方直近を進行した過失により、正李に被告車両の左前サイドミラーを接触させて路上に転倒させた(以下「本件事故」という。)。

2  正李は、本件事故により急性硬膜下血腫の傷害を負い、平成六年六月二五日死亡した。

3  被告会社は、本件事故当時被告車両を所有し、自己のために運行の用に供していた。

二  争点

本件の中心的な争点は、原告が正李と内縁関係にあり、被告らに対し、本件事故により正李が死亡したことを理由に慰藉料の支払を求めうるか否かである。また、被告らは、正李は、本件道路を斜めに横断中に本件事故に遭つたものであり、本件事故の発生につき正李にも過失があるから、過失相殺をすべきであると主張している。

第三当裁判所の判断

一  原告と正李との内縁関係の有無について

1  甲第一ないし第四号証、第六号証の五、六、八、一〇、一三、第七号証の一、二、第八ないし第一四号証、乙第二号証及び弁論の全趣旨によれば、以下の事実を認めることができる。

(一) 原告は、昭和三五、六年ころ、当時大阪市生野区舎利寺三丁目一〇番三〇号所在の生楽荘の二階に居住していた従妹の石谷晃子宅を訪ねているうち、石谷宅の東隣の部屋に居住していた杦田スヱノ(以下「スヱノ」という。)と知り合つた。原告は、夫であつた佐藤實に先立たれ、實との間に生まれた容子及び哲子と暮らしていたが、スヱノと親しくなつたこともあつて、昭和四一年七月ころ、生楽荘の正李らの部屋の東隣の部屋に転居し、当時、スヱノが病気で寝込んでいたため、原告は、スヱノの夫の正李の食事の世話等をするようになり、やがて正李とも親しくなつた。

(二) スヱノは昭和四一年八月四日に死亡したが、同年末ないし昭和四二年初めころ、原告は正李から一緒になろうと言われ、スヱノが原告に対しあとは夫をよろしく頼むと言い残したことや、正李の勤務先であつた株式会社多田製作所の多田嘉一郎から正李と一緒になつたらどうかと勧められたこともあつて、以後、原告は、正李と生楽荘の原告の部屋で暮らすようになつた。

(三) 正李は、昭和四四年八月三〇日、死亡保険金受取人を原告とし、原告の自己との間柄を内縁の妻としたうえ、生命保険会社との間で生命保険契約を締結した。

(四) 正李が昭和五一年に株式会社多田製作所を退職するまで受け取つていた給与はスヱノ(ママ)が管理し、正李が退職後支給を受けるようになつた年金も同様にスヱノ(ママ)が管理していた。

(五) 正李は、本件事故後救急車により村田病院に搬送されたが、村田病院には従前から原告と正李が通院していたことから、村田病院では、本件事故当日の午後四時ころ、原告に対し、正李が事故に遭つたのですぐ来院するようにとの連絡をした。

(六) 原告は、平成六年六月二六日、自らが喪主となつて正李の葬儀を行つたほか、同年七月二四日には四九日の法要を行うなどした。また、原告は、そのころ、知人の高島啓子から、香典とともに、「御主人様の突然の御訃報に驚いております。」との記載のある手紙を受けた。

(七) 原告は、本件事故後、大阪府東住吉警察署から、正李の内縁の妻として事情聴取を受け、また、大阪地方検察庁の検察官に対しては、正李の内縁の妻として、被告高工の寛大な処分を望む旨の意見を述べた。

2  以上によると、原告は、遅くとも昭和四二年の初めころから本件事故の発生までの間正李と同居し、正李との間で実質的には夫婦の実態を備えた生活をしていたばかりか、対外的にも内縁の夫婦として振る舞つていたことが認められ、原告は、民法七一一条の「配偶者」に準じるものとして、本件事故で正李が死亡したことによつて受けた精神的損害について、被告らに対し賠償を求めることができるというべきである。

二  原告の損害について

甲第一四号証、第乙第一ないし第三六号証によれば、正李には、本件事故当時、野瀬猛、谷本久美子、野瀬橾、野瀬トシヲ、矢田美代子、山下敏雄、北森エミ子、野瀬清の相続人がいたこと、正李は、大正元年九月三日、中村末吉と多起との間に出生し、大正五年一二月二六日、杦田卯之助とかよの養子となつたが、多起は大正六年一一月八日に末吉と離婚し、大正七年五月三一日に、野瀬辰治郎と婚姻し、その間に出生した子あるいはその子が右の相続人であること、正李は、生前これらの相続人とは全く交際がなかつたことが認められる。

右の諸事情のほか、その他本件に顕れた一切の事情を考慮すれば、原告が正李の死亡によつて受けた精神的苦痛を慰謝するためには、五〇〇万円の慰藉料をもつてするのが相当である。

三  過失相殺について

甲第六号証の七、一一、一二及び弁論の全趣旨によれば、本件道路は片側各一車線で、歩車道の区別はなく、幅員は八メートルであること、被告高工は、本件事故当時、被告車両を運転して本件道路を東から西へ向かい時速約三〇キロメートルで進行中、対向車両とすれ違うために減速し道路左側に寄り被告車両の左端が道路左端から約〇・六メートルの位置となつた際に、被告車両の進路前方約一四・六メートルの道路左側付近を反対方向から歩行してくる正李を認め、若干ハンドルを右に切り加速して視線を遠くに移した後、次に正李を見たとき、正李が被告車両の進路前方約二・五メートルの位置に近づいていたため、驚いて急ブレーキをかけ、右にハンドルを切つたが間に合わず本件事故が発生したことが認められる。

被告らは、正李は、本件道路を斜めに横断中に本件事故に遭つたものであり、本件事故の発生につき正李にも過失があると主張するが、甲第六号証の七によれば、正李は、被告高工が最初に発見した際には道路南端から約〇・九メートル付近を歩行していたが、被告車両と衝突した際には道路南端から約一・七メートル付近にいたことが認められるものの、正李が本件道路を横断する意図であつたのかどうかは不明であるうえ、被告高工は、進路前方約一四・六メートルの位置に正李を認めながら、その後正李の動静の注視を怠り、正李との距離が約二・五メートルに接近するまで正李の歩行状態を見ていないこと、正李が本件事故当時八一歳であつたことも考慮すると、過失相殺として考慮すべき過失が正李にあつたとは認められない。

よつて、過失相殺についての被告らの主張は採用できない。

四  結論

以上によれば、原告が本件事故によつて受けた損害は五〇〇万円となるところ、本件の性格及び認容額に照らせば、弁護士費用は五〇万円とするのが相当であるから、原告は、被告ら各自に対し、五五〇万円及びこれに対する本件事故の日である平成六年六月二四日から支払済みまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求めることができる。

よつて、主文のとおり判決する。

(裁判官 濱口浩)

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